
福島美術館

伊達政宗生誕450年記念 福島家がのこした伊達な文化
期間:9月15日(金)~11月23日(木)
前・後期拝見しました。

伊達政宗書状
鮎貝宗重(日傾斎)宛。内容は「明日泥蟠斎(小梁川盛宗)の所で茶会があるので相伴するように、当世の茶の湯の稽古の為である」といったもの。天正16年(1588)の手紙と推定されており「当世の茶の湯」とは当時上方で流行していた利休の侘び茶の事と思われ、若き政宗が家臣と共にそれを学ぼうとしている様子が見られる。
天正18年小田原に参陣した政宗が利休に茶の湯の稽古を受けたいと言ったのは処世の為だけでは無く、好奇心の表れだったのでしょうか。
近衛信尹書状
九月廿七日付、片桐且元宛。駿府より戻った且元へ、鮭を贈るといった内容。文面には「右府公御無事」と豊臣秀頼の名が見られ状況も知っており、信尹が大坂の事に関心を置く様子が窺える。
古田織部書状
八月八日付、長谷川藤広宛。依頼された茶入の蓋と仕覆の調達を請け負った内容。
長谷川藤広は長崎奉行を務めており、当時「天下一」と称された織部の下には茶道具の斡旋を依頼する者が後を絶たなかった様だ。
茶柄杓自画賛 織田有楽筆
茶柄杓をさらりと描き、上部に狂歌「寒熱の地獄へ かよふ茶柄杓も こころなければくるしみもなし」が記され、茶釜を戦乱の世に茶柄杓を自身に例えていると解釈されている。
小堀遠州書状
清水道閑宛。伊達家が山井肩衝茶入を拝領したことや、遠州が作事奉行として忙しくしており茶の湯もままならない様子を道閑に伝えている。
遠州と道閑は織部に茶の湯を習った仲で、道閑を伊達家の茶頭に推挙したのも遠州であった。
和漢書家画巻 狩野探幽筆
探幽が古画研究の一環として、和漢の画家の画風を模して描いた縮図。
単なる模写では無く探幽流にアレンジが加えられており見応えのある画巻となっている。
初めて訪れた美術館でしたが、伊達家旧蔵の品が色々と観られて良かったです。